現場の声
 

  私はバングラデシュ生まれのカムルズ ザ-マン(シャヘブ)です。昭和63年4月に日本に参りました。日本に来る時は日本語が全く分かりませんでした。日本語覚えるために東京都西早稲田にあるヨシダ日本語学院に入学しそこを23ヵ月勉強し、卒業後、平成2年9月に栃木県栃木市にある高等情報専門学校に入学し、それから平成33月同じ市内にある株式会社三ッ村製作所に学生アルバイトとして入りました。勉強しながらアルバイトし、平成58月学校卒業し株式会社三ッ村製作所にお世話になることにしました。その時留学生ビザから就職ビザに変更するのは大変でした、でも会社から必要な書類をいただき、入国管理に申し込み、結果は株式会社三ッ村製作所で働く就職ビザ認めました。それから今日まで仕事する事が出来ています。したがって、現在僕は日本の永住ビザをもらっています。

 最初は、進捗、在庫管理、棚卸の集計、デ−タ−入力、デ−タ−出力をさせてもらいました。今、生産計画したり、お客様と連絡取ったり、お客様の納期回答したり、お客様の所まで行って相談受けたり、状況の確認をさせていただいています。

今まで会社仕事するにはやりがいがあります。なぜか、生産計画やる事によって責任もってやらなければならない、仕事を任せているからそれも責任もってやらなければならないです。自分の意見を延びたり、自分が分からない時、上司すぐに相談を乗ってもらいます、仕事の事でも色々相談をしてもらって楽しくやらせていただいています。今、僕は子供の学校と妻の大学校の関係で茨城県つくば市に住んでいます、でも今まで別の仕事探した事一度もありません。5年もつくばから通っています。

こんごも客様を満足させる事と株式会社三ッ村製作所にお世話になり、誇りと責任をもって仕事をさせていただき、定年したいと考えています。

 

   
     
     

 

 私が、入社して早4年が過ぎ、5年目に入りました。何もかもが知らない事ばかりで、硬い頭にあれやこれやと詰め込む事があり、長いようで短い4年間でありまだまだ勉強が足りないと思う毎日です。

 そのなかで、NC旋盤の仕組みや構造など少し理解できはじめ、物づくりの楽しさが分かりはじめました。特に難しい加工や工程で材料に手が加わり製品になった時の達成感が、なんとも言えず楽しくもあり、うれしくもある瞬間かも知れません。

  それだけでは自己満足になってしまい、社内工程はもちろん、その先のお客様の事も考えなくてはいけないのだと思います。

  一つの製品が出来るまでには、色々な工程をへて完成する<製造>という物づくりの難しさや奥深さを、ひしひしと感じています。

     

 
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